考えたことも、なかったな。





『その 流れ を』





山の緑。
川のせせらぎ。
それが、私の住むところ。

ここは、そう言っていいくらいの、田舎。
だから、信じられるんだ。


そう言うと、目の前の女の子は目を白黒させた。


「では、貴女は………」
「ええ。あなたが人間じゃないってこと、信じるよ」





河原に転がる大きな石に腰掛ける。
目の前の女の子にも、座ったら?と声をかける。
女の子は素直に頷いて、少しだけ間を空けて隣に座った。


川の音が、沈黙に響く。


「でも、どうして姿を見せたの?」

沈黙を嫌う訳ではないけれど。
自分を"鬼"と呼んだ子に、何気なく訊ねてみる。

黒に仄かな緑を混ぜたような、不思議な色をしたしなやかな髪が、柔らかい風に揺れる。
―――それに見惚れていると、女の子は静かな声で教えてくれた。

「………川に流れ着くモノを、拾わなきゃいけないんです」
「川に流れ着くモノ?」

考えてみて、首を傾げる。
想像力に乏しい私には、それがなんなのか、わからない。

「明日は特別な日だそうで、川に人形が流れるんです」
「にんぎょう……………あ、もしかして…『流し雛』のこと?」
「ながしびな………へー、そんなふうに言うんですか」

疑問形で出した答えに、女の子は少し表情を明るくする。
まるで、知りたかった答えが聞けたような、そんな表情。

「そうだけど…。そっか、『雛祭り』なんだよね。明日は」
「………毎年その日になると、川に小さな人形がたくさん流れるんです」
「そうそう。その人形に"嫌な事"を書いて、それを川に流して、厄除けをするんだよね」

思い出したように空を見上げて、私は弾むように言った。


なんだかんだで、そういう行事は楽しい。

払いたい厄はなに?と何気なく聞く。
そしてそこから始まる、本当にたくさんの話。
………そういうのがあるから、こういう行事は嫌いじゃないって思える。

私がそこに求めているのは、厄除けじゃない。
きっと、そんなの、どうだっていい。


「―――――厄を流して」
「え…?」
「流して、それからのことは、知っていますか?」

女の子は俯いた。
紅の差す白装束と相まって、それはひどく、綺麗で怖ろしい横顔。

さっきまでの感覚とは、違う、なにか。

「人形に塗られた厄や怨は、川を伝って何処かへ流れ着きます。
 それを私たち"鬼"が拾い、私たちに伝わる炎を以って、還すんです」
「……………どうして………?」
「清けき川に、怨が溜まってはならないから。
 此処を、根国の者や不浄を居座らせる"場"にしてはならないんです」

女の子の言っていることは、あまりわからない。
ただ、すごくやるせないような、そんな感情を込めているのだけはわかった。

「……………」
「………、ごめんなさい…」

―――だから、自然と、そんな言葉が出た。


「謝ることはありません」


―――それを、女の子は微笑んで受け、流した。

「これは、貴女の知るところではない理ですから」
「………そうかもしれない、けど…」
「……………ただ、………いえ、何でもありません」

お互いに言葉を濁して、切る。


―――穏やかな川のせせらぎが、今は耳に痛かった。


◇  ◇  ◇


「―――――あっ」
「えっ?」

少し気まずかった沈黙が、女の子によって破られる。
何かに気付いたような声を出して立ち上がり、辺りを見回す。

「あ、あはは………見つかっちゃったみたいです」
「え?え?」
「私は行かないと…"姫"直々にお迎えに来て下さったみたいですから」

そう言って、くるりと背中を向ける。
―――踊る黒緑の髪が、優にたなびく。


「………名を」
「え?」
「名を、教えて?」

ほぼ無意識に、私はそう言っていた。
振り向いた女の子は意外そうな顔をして、それから少し寂しそうな顔をした。

「―――"ねい"」
「ねい…ありがとう。じゃあね…」
「はい。それでは」

石と草だらけの河原を、ねいは振り返ることなく駆けていった。

………私は、ねいの後姿が、黒緑の森に呑まれるまで。


◇  ◇  ◇


考えたこともなかった。
けど、流し雛なんてやらないほうがいいんだ。

それは人間だけの都合で行っていることだから。
人知れず、迷惑をかけているんだから。

明日、学校でやらなきゃいけないけれど。
………こっそり、どこかに捨ててしまおう。


夜。
布団の中で、私はそんなことを考えていた。


◇  ◇  ◇


「―――――お姉ちゃん。朝だよ」
「〜〜〜………むぅ…」
「今日は学校で『ひなまつり』の準備があるでしょ?早く行こう!」
「………そうだっけ……あー。そうだ………」
「川に流すおひなさまを作らなきゃいけないんだって、お姉ちゃん言ってたでしょ?」
「……………そうだ…あぁ、めんどいなぁ………ん?」
「どうしたの?」
「……………………」
「お姉ちゃん?」
「……いや…なんでも、ない……」


何かを忘れている。
それに気付いたけれど。
何を忘れているのか、思い出せない。


「………ヘンな夢でも、見たのかな…?」


きっと、晴れそうにない疑問。
それをランドセルと一緒に背負って。

私は『流し雛』の準備をするべく、学校へと向かうことにした。




『その流れを』 了.