卒業という一つの区切り。
それは多くの人との別れであり、新たな出会いの始まりだ。
だけど、僕にはもうひとつくらい、意味があると思う。

その別れを迎えても、一緒に居ようと願う人がいるのなら。
それは、その人との『約束』になるんじゃないのかなって。


『遠くまで』


「温泉かぁ………いいんじゃない?」
「でしょぉ?」

もうあと二日で学校が終わる―――正確には"家庭学習"という扱いではあるけれど。
僕も水銀燈も進路は内定してるので、この家庭学習中は休みも同然。
そういうことで、今まで窮屈に締められていた高校生がどこかに行こうと思うのは当然のこと。
もっとも、僕は家でのんびりするという無難な選択しか考えてなかったが、水銀燈はそうではなかった。
彼女が提案してきたのは―――――まぁ、定番の"温泉旅行"というヤツだ。
………旅行、というのはちょっと語弊があるかもしれない。なんせ場所が全然遠くないから。
でもまぁ、一泊二日の日程だからいちおう旅行って言うべきなんだろうけど。
「それで、メンバーはどうするんだ?」
「………ふたりっきり、よぉ」
「はぁ!?」
「うふふ………いやぁ?」
すごく妖しい笑いを浮かべ、水銀燈は耳元で囁く。
―――爆発しそうなくらいに暴れる心臓を抑えようと努力しつつ、言葉を返そうとする。
「だ、だって…こういうのは、大人数で行くべきだろ?」
「あらぁ?そんなの、どこのダレが決めたのかしらぁ?」
「ゔ………そ、それに…今は、俺とおまえは、ただの………友達、だろ」
答えに困って、少し前に告げられた答えを口に出すと、水銀燈は距離を置いて、表情を曇らせた。
「……………そうだったわねぇ。しょうがないなぁ…それで、ダレを連れて行く気なのぉ?」
「んー…とりあえず、もう進路が内定したヤツだよなぁ………」
辺りをキョロキョロと見回してみる―――――あ。
「笹塚!」
「ん?呼んだ?ジュン」
「オマエってもう大学決まったよな?」
「まぁ、ね。それがどうかした?」
「卒業旅行ってことで、温泉に行こうって話があるのよぉ。アナタ、行く気あるぅ?」
水銀燈が持ちかけると、笹原は少し困ったような顔をした。
「そりゃ行きたい………けど、俺さぁ、ジャマじゃない?」
「何がジャマなんだよ、卒業旅行なんだからジャマなハズないだろ?」
「………あ、そ。それなら遠慮なく参加させてもらうかな」
「分かった。日程とかは後日、ってことで………ところで、ベジータってさ…」
「蒼星石とおんなじ大学に行くんだって、猛勉強の日々。声かけるだけムダだよ」
苦笑いをしながらそう言って、笹原は自分の席に戻っていった。
「………バカだよなぁ…」
「やっぱりおばかさんねぇ、ベジータ…」
二人して、報われない努力を続けている男に呆れ、哀れむ。
「……………そっちはどうする?」
「私ぃ?そうねぇ、まず薔薇水晶は確定としてぇ………あぁ、雪華綺晶も連れて行くわぁ」
「雪華綺晶?…あの、冬に転校してきた………?」
聞き慣れない名前を耳にして、記憶をロードしてみる。
―――あぁ。あの、薔薇水晶によく似た子か。男子がぎゃーぎゃー騒いでたな、そういえば。
「えぇ。いいコよぉ?頭もいいし、美人だしぃ………来る時期が悪すぎたから、なじめずじまいだったけどねぇ…」
「そっか…最後くらい、楽しい想い出を作りたいよな。じゃあ、呼んでおいてくれる?」
「もちろんよぉ。あとは………あぁ!委員長も連れて行かなきゃ!」
「委員長?…柏葉のこと?」
水銀燈が口にした意外な人物に、少し戸惑う。

柏葉 巴。
この個性的な(特に女子)クラスを、一年間取り仕切ってきた生徒だ。
俺は何度か言葉を交わしたことはあるけれど、水銀燈と彼女が話しているところは見たことがない。

「…仲良かったのか?おまえ」
「ふふ、意外と知らないものなのね………大丈夫よぉ。
 みんなで、一年間面倒を見てくれた指揮官を慰労してあげましょぉ?」
「し、指揮官………まぁ、いいか。じゃあ、よろしく」
「あとは…真紅、蒼星石、翠星石にも声をかけたいけど………まだ内定してなかったわねぇ、あのコたち」
水銀燈は残念そうに呟く。俺もまた、同じようにため息をつく。
それぞれが親友、と呼べそうなくらいに仲がいいヤツだから、俺も一緒に行きたいと思うけれど。
「仕方ないさ…黙っておこう。勉強のジャマしちゃ悪いだろ…」
「……………そうねぇ」

―――そこで、帰りのSTを始めろというチャイムが鳴った。


◇  ◇  ◇


計画が持ち上がってからの数日は、流れるように過ぎてくれた。
日程も決まり、準備も終えて、ついにその日を迎えた。
いつもより気持ちよく目が覚めて、踊るような心地で支度を終えて、集合場所―――最寄の駅まで歩いて行った。


「え゙?」
「ようやく来やがったですねぇ、このバカチビ!」
「待ってたよ、ジュンくん」
「下僕の分際で主人に隠し事とは、いい度胸なのだわ…」
「………翠星石に、蒼星石、それに…真紅?」
いるはずのない三人が、そこにはいた。しかも三人とも、僕を非難の眼差しで睨んでいる。

「どど、どういうことだよ?なんでおまえらが―――」
「―――人の口に戸は立てられない、って言うでしょぉ?」
くす、と嘲るように笑う声に、振り向く。
「………水銀燈。もしかしてオマエが…」
「やぁねぇ、そんなマネしないわよぉ。それより、早く行きましょぉ?
 …犯人探しなんて野暮なことはやめなさぁい。見つけたところでどうなるものでもないんだからぁ」
手に持ったヤクルトを飲み干して、水銀燈はさっさと歩いていく。
………正論を言われたはずなのに、どこか釈然としない心地でその後姿を見つめる。

「………ジュン…」「おはよう…」
「…お、薔薇水晶と雪華綺晶………おはよう。よろしくな」
「………うん。こちらこそ…」「よろしく…」
どこか恥ずかしそうに頷く二人に、ちょっと笑ってしまう。
「…?」
「いや、二人とも同じような反応でさ。それに顔もよく似てる………"双子"とか言われたら普通に信じそうだ」
「「……………」」
俺の言葉に、二人は顔を見合わせる。
―――それは本当に鏡で映したかのような光景で、綺麗すぎて、少し、息を呑む。

「………くす…」「ふふ…よろしく、ばらしーちゃん」

そして、どちらともなく、笑った。
―――なんか、俺の頬が熱いのは、気のせいだろうか。

「なにシアワセそうにデレてやがるですか、このバカチビッ!」
「いでぇっ!!」
ギリギリ、と背後から、両頬が容赦なく抓られた。
誰の仕業かなんて、考えるまでもない。そしてすごく痛い。痛すぎる。
「はなふぇはなふぇ!いふぁい!」(離せ離せ、痛い!)
「翠星石と蒼星石をほっといて、このバカヤロー……です…!」
「ひででででっ!」
抓る力はどんどん増していく。
その手を外すべく自分の手を使おうにも、あいにく荷物で手が塞がってしまっている。
「―――やめなよ、翠星石」
と、ここで蒼星石が割り込んでくれた。
「本当なら僕たちはここに居ちゃいけないんだ。ジュンくんもそれを分かってたんだよ?」
「う………だ、だけど…」
「だけどじゃな………あ。………翠星石、実はジュンくんの背中にわざと胸を当ててアピールしてるんだね?」
「!?」「ちち、違うに決まってるです!何バカなことをほざくいてるですか、蒼星石!!」
蒼星石の予想もしない一言に、頬を抓る力が一気に抜ける。
―――そして意識してみると、確かに背中にあたる柔らかいモノがあるワケで。
「いいなぁ…僕には出来ないよ、そんなの………男の子みたいだもんねぇ、僕…」
「だ、だから違うって言ってるじゃねーですか!!」
「ふーん…じゃあ、なんでまだ離れないの?」
「あ…」
蒼星石の言葉に、パッ、と高速で、翠星石は僕から離れる。
「……え…と、翠星石…」
「……………ジュンの、バカやろー…ですぅ」
真っ赤な顔と涙目でそう言って、翠星石は走って行ってしまった。

「………俺、悪くないんじゃないか…?」
「ごめんね。あとで僕から言っておくよ」
やれやれ、と呆れたように蒼星石はため息をつく。
「………なぁ、蒼星石」
「ん?」
「なんか………今日のおまえさ、ちょっとイジワルじゃないか?」
「……………………」
ふい、と。
僕の問いかけに答えることなく、蒼星石もまた駅の構内に歩いて行ってしまう。

「蒼星石…?」
「あのコの機嫌を損ねたようね、ジュン」
「真紅………なぁ、俺なんかした?」
「知らないのだわ。さぁ、早く行くわよ」
それだけ言葉を交わして、真紅もまたさっさと構内に向かう。
「…?」
「はは、前途多難だな。ジュン」
「笹塚………なんだ、居たのか」
「うわ、ひで。さっきからずっと居るのに。なぁ、委員長?」
「そうね」
軽く笑う笹塚の隣に、委員長――柏葉がいた。
たぶん、僕がみんなと騒いでるうちに着いたんだろう。
「よろしく、柏葉」
「ええ………さぁ、行きましょう?みんな待ってる」
「うん」「はいよ」

どこか、ほんの少しだけ不安な思いを抱えつつ、みんなの後を追って駅の構内へと向かった。


◇  ◇  ◇


「白い…」
それが、電車を降りたときの第一声。


電車に揺られること一時間ちょっと。
よくある秘湯、穴場の温泉ということで――矛盾している気がするけど――やってきたのは、名前も知らない田舎町。
今年は異常に寒く雪もたくさん降ったためだろう、この町ではまだあちこちに雪化粧が見られる。
「それじゃ、まずはさっさと宿まで行きましょぉ」
「そうだな…さ、寒いし…」
雪が残っているだけあって、自分のいた街よりも、だいぶ寒く感じる。
それはみんなも同じようで、翠星石なんかは歯をガチガチ鳴らして呻いている始末。
そんな寒空の下に長居は無用なワケで、水銀燈を先頭に、俺を最後尾にして、さっさと宿まで歩き出す。

「…寒そう……あっためてあげる…」
「へ?」
と―――薔薇水晶がいきなり、俺の左手を手に取った。
「わわ、なんだよ」
「………つめたい…」
ぎゅっと、少し冷えた手を包むように/柔らかくて温かい掌が、絡められる。
「……………ば、薔薇水晶…」
「…行こう…置いてかれちゃう…」
――手を繋いだことに少しドキドキした俺がバカに思えるくらい、淡々と、薔薇水晶はそう言った。
え、と慌てて前を見ると、みんなの後姿が少し遠くなりつつあって。
「あぁ…い、行くか」
「………うん…」
離れそうにないほどしっかりと指を絡められたまま、ちょっと早足で歩くことにした。


◇  ◇  ◇


「んー………疲れたなぁ」
「早いよジュン。まぁ、これからゆっくりするんだけど………うん、なかなかいいところだ」
荷物を部屋の隅に置き、思いっきり伸びをしつつ窓の外を眺める。
笹塚も同じように窓の外を眺め、感心したようにそう漏らす。
………水銀燈のチョイスは、手放しで褒めたくなるくらいに良かった。
テレビなんかでよく見る、情緒溢れる温泉宿―――まぁ、彼女のイメージには似合わないかもしれないけれど。
それでも、ゆっくりすることがまず第一。
予想外だった真紅、翠星石、蒼星石の三人も、ここでならいい息抜きが出来そうだ。

「………なぁ、ジュン?」
「ん?」
「……………あのさ…」

◇  ◇  ◇

「チビは笹塚と同部屋ですか………」
「まぁ、それが順当なんじゃない?それともジュンくんと同部屋がよかった?」
「……………」
「あれ…翠星石…?」
「…………………」

「―――まったく。もう少し、素直になるのが早ければ…ね」
「真紅…?」
「それは………お互い様です、真紅」
「……………そうね、………そうかもしれないわ」
「翠星石、真紅………」
「私たちは隠し続けて……そして、失ったのだわ」
「……………翠星石は………翠、星石、はっ…!」
「…泣かないで、翠星石………まだ、着いたばっかりだよ?」
「そう。せめて最後くらいは…素直に、楽しみましょう?まだ―――共にいることだけは、許されるのだから」

外を見る。
根雪は白々と町にしがみつき、春の訪れを恐れているよう。

「―――――愚かね」

◇  ◇  ◇

「さて、どうしようかしらぁ……」
「………お腹……すいた…」
「私も、ちょっと…」
「言われてみれば………そうねぇ。それじゃあちょっと、外で何か食べましょぉ?」
「……………シュウマイ…たべたい…」
「相変わらずねぇ、アナタも………巴、アナタはぁ?」
「えっ!わ、私は…まだ、お腹空いてないし………」
「でもお昼よ………食べたほうがいいと思うわ…」
「………それもそうね。それじゃ、一緒に行くわ」
「それじゃあせっかくだし、ジュンたちも連れて行きましょぉ」
「……………ワリカン…♪」
「ば、ばらしーちゃん……ちゃっかりしてる…」

◇  ◇  ◇

カンカンッ!
「ジュンー、笹塚ー、居るかしらぁ?」
「―――す、水銀燈?」「居るよ、どうしたー?」
「お昼、食べに行きましょぉ?」
ドア越しの水銀燈から出された提案に、時計を見る―――――もうすぐ十二時、確かに時間はぴったりだ。
腹の虫も微妙に騒いでいるし、ここらへんで腹ごしらえするのも悪くない。
「どうする、笹塚?」
「んー………まぁ、行くよ。お腹空いたしさ」
「よし、それじゃ行くか」
座布団から立ち上がり、自分のカバンを漁ってサイフを取り出す。
あまり大した金額はないものの、それでもこの旅行を楽しめるぐらいはあると思う。

「ジュン」
「―――?」
「……………今日と明日は、楽しもうな」
「…あぁ」

それは当たり前―――けれど、大切なこと。
それを確認しあってから、僕らは廊下に待つ水銀燈たちの下へ向かった。

◇  ◇  ◇

廊下に出ると、みんなが揃って―――なかった。
「あれ、翠星石と蒼星石は?」
「先に行っててほしい、と言っていたのだわ」
「え、でもそれじゃあ、場所がわからないんじゃ………」
その真っ当な疑問に、水銀燈があっさりと解答を出す。
「おばかさぁん。何の為にコレがあるのかしらねぇ?」
そう言ってポケットから取り出したのは、彼女らしく黒でキメた携帯電話。
ストラップにあしらっている羽が黒、というのがまた彼女らしい感じ。
「そうか、それなら大丈夫だよな………それじゃ、どこに食べに行く?」
「………探すしかない…」
「そうね…私たち、地元の人間じゃないもの………」
薔薇水晶と雪華綺晶の呟きに、あぁ、と間の抜けた声を出してしまう。
そういえばここは旅行先であって、地元じゃない。だからどこになにがあるのかもさっぱりなワケで。
「……………それじゃ、フロントの人に聞いてみればいいんじゃないかしら?」
と、そこで柏葉がナイスな案を出してくれた。
「それがよさそうだな」
笹塚を始め、みんなが頷く。

「それじゃちょっと聞いてみるか。あぁ、腹減った…」
「美味しいモノがあるといいわねぇ」
「………シュウマイ…あるかな……」

◇  ◇  ◇

「………早く行かないと、置いてけぼりをくっちゃうですよ」
「いいよ別に。そしたら、後で二人で食べに行けばいいでしょ?」
「ううん…これが、みんなで食べる、最後のお昼ですよ。だから早く行くです」
「…翠星石が泣き止んだら、一緒に行くよ」
「な、泣いてねーです。翠星石もちゃんと行くですから、とっとと先にいきやがれです」
「―――嫌だ。来ないつもりでしょ、翠星石?ジュンくんに会いたくないんでしょ?」
「ッ………」
「真紅は素直になったのに…でも、僕はあそこまでスッパリと割り切れなんて言わない」

泣いている肩を掴む/震える瞳を見詰める。

「―――それでも、ここで………ここで、そんな終わり方で、いいの?」
「……………」

翠星石は、静かに首を振った。

「それなら………それなら、やることは一つでしょ?」
「………ジュンに、言えば…」
「ううん。そんなこと言わない」
え、と戸惑う翠星石に、僕なりの考えを告げる。
「もちろん、それも方法のひとつだよ。
 翠星石―――――僕はさ。ただ、後悔しないでほしいなって思うだけ。そしてその為に、何かしてほしいだけ」
「ぁ………」
「このままジュンくんを遠ざけるのはカンタン。だけど、それじゃ絶対後悔する」
「……………………」
「今日と明日、時間はまだあるから………」

「蒼星石」
「…なに?」
強い声で、翠星石は僕に聞いた。
「蒼星石は、どうするですか?蒼星石も、ジュンのこと………好きだったですよね?」
「…そうだね。僕はジュンくんが好き"だった"よ」
「………今は、違うですか?」

「―――――翠星石、僕はね………翠星石を泣かす人間だけは、許せないんだ」
「え…」
「確かに、僕はジュンくんは好きだった。だけど、ジュンくんは………翠星石を、泣かせてしまった」
「だ、だけど…それは、ジュンは、悪くない…」
「そうだね。だから僕は、ジュンくんを嫌ったりはしないよ。
 でも―――――もう、好きでいることはできない。彼は悪くないけれど、翠星石を泣かせたから」
「蒼星石………」
「…僕は後悔しない。自分の気持ちに、けじめはつけたつもりだから」

そう告げて、翠星石から離れて窓の傍に歩み寄る。
見下ろす町の残雪は、南に掲げられた太陽の光に溶け出してしまうだろう。

「……………」

「―――蒼星石っ、行くですよ」
「………あ、うん」
呼びかけられ、振り向く。
携帯を手に持った翠星石の表情に、さっきまでの影はなかった。

「蒼星石」
「ん―――――!?」
部屋を出るところで、翠星石が背中から僕を抱きしめた。

「………ありがとうです。蒼星石は、翠星石の、自慢の妹です」
「……どういたしまして………姉さん」
「へへ………なんか、くすぐったいです。普通に呼びやがれです」
「はいはい………さ、行こう。みんなを待たせちゃ悪いから」

二人で呆れたように笑って、僕らは玄関まで急いだ。


◇  ◇  ◇


フロントで情報を仕入れたところ、どうやら近くに評判のうどん屋があるらしい。
みんなに確認を取ると、一人を除いてみんなが了承してくれたので、そこで昼食を取ることになった。
――そしていざ外に出ようとするところで、翠星石と蒼星石が急ぎ足でやってきた。
"どうしたんだ"と何も考えずに尋ねようとしたが、翠星石の目が少し赤くなっていたのに気付いて、やめた。

「………さ、全員揃ったことだし、行こうか」
「……………シュウマイ………」
「あきらめなさぁい、薔薇水晶。シュウマイならいつでも作ってあげるから、ねぇ?」
「…銀姉様………ありがと…」

◇  ◇  ◇

「―――いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
「あ、っと…」「9人です」
当たり前の質問に戸惑った俺を、柏葉がフォローしてくれた。
「九名様ですね、あちらのお席にお願いします」と、店員さんが慣れた調子で案内をしてくれる。
「さすが柏葉。ちゃんと人数を把握してるあたり、偉いよな」
「えっ…その、普段からの癖で…」
「そういう癖がつくくらいに、普段から頑張ってたんだろ?本当、お疲れ様」
委員長の冠に相応しい彼女に、労いの言葉をかける。
"…何様だろうな"なんて自嘲気味に言うと、柏葉は小さく首を振った。
「ううん………ありがとう、桜田くん」
「へ………あ、うん」

「―――お二人さん。さっさと座りなよ」
「ジュン、こっちにいらっしゃぁい」「巴ー、こっちに来るですー」
と、そこで笹塚を始めとするみんなの声。
それぞれの呼びかけに応じて、僕らは空いてる席につく。
僕は笹塚の隣、向かいに水銀燈、そしてその隣には薔薇水晶という、4人掛けのテーブル席。
柏葉も同じように、真紅、翠星石、蒼星石、雪華綺晶の待つ4人掛けのテーブル席。
もちろん席が足りないので、近くの空いた席から椅子をひとつ拝借して、それから座った。


「さて、なににしようかな…」
「俺はきつねうどんかな。水銀燈は?」
「そうねぇ………あ、コレにするわぁ」
まるで"イイモノみーっけ"と言わんばかりの笑顔で水銀燈が指差したのは―――

「「―――――お、おこさまセット?」」
思わず間抜けな声で、笹塚と二人、そう言ってしまった。

「あそこに子供がいるのだわ」
「うわー、高校生とは思えねーチョイスです…」
「銀ちゃん…カワイイ………」
後ろの席にも思いっきり聞こえたらしく、外野――真紅、翠星石、雪華綺晶――から即座にヤジが飛んでくる。
「な、なんとでも言いなさぁい。そんな侮辱、このヤクルト2本の前では無力よぉ」
僕越しに、とても高校生とは思えない反論を外野に返す水銀燈。
………ほっとくとケンカが始まりかねないが、とりあえずほかっておく。
「薔薇水晶はどうする?言っとくけど、シュウマイはないからな」
「……………………わたしも…銀姉様と、同じがいい…」
「へ?ってことは…おこさまセット?」
聞き返すと、薔薇水晶は小さく頷いた。
「………あまり食べれないし………ヤクルト、銀姉様にあげたいから…」
そのチョイスの理由に、ヤジを飛ばしあう水銀燈の動きが止まる。
「ば、薔薇水晶………あぁ、なんていいコなのぉ……だいすきよぉ♪」
けっこう感動したのか、瞳を潤ませながらひしと薔薇水晶に抱きつく水銀燈。
「………えへ…」
嫌がる素振りもなく、むしろはにかむような笑顔を浮かべる薔薇水晶。

「……………なん、ていうか…」
「………すごい、こう……なぁ?」
目の前の、見方によってはアブナい光景に、笹塚と二人で顔を合わせ言葉を失う。
「―――銀ちゃん、ばらしーちゃん………あぁ、なんて綺麗な絵…」
「「「「「「「「……………」」」」」」」」

雪華綺晶のもっとアブナい発言にみんなが固まる頃、店員さんが実にいいタイミングで、注文を取りにやって来た。

◇  ◇  ◇

「―――月見うどんのお客さまー」
「あ、僕です」
軽く手を上げて合図を送ると、どんっと目の前に湯気の立つどんぶりが置かれる。
「うまそ…」
「美味いよ」
割り箸をぱきっと割りつつ漏らすと、横で先に麺をすすっている笹塚が答えた。
「そうか、それじゃ…」
曇ってジャマになる眼鏡を外して、いただきますと手を合わせてから、一口すすってみる。
「んぐ………―――ホントだ、うまい」
「だろ?」
ちょうどよく腹も減っていたので、ずるずると豪快にすすっていく。
歯応えもいいし、つゆもいい感じ。喉越しとかはよくわからないけど、たぶんいいに違いない。
貪るように箸を進め、適度に音を立てながら麺をすすって―――――。
「………」
「?………なんだよ、水銀燈。人の顔じーっと見て」
手を止めて、メシを食べずに俺を見ていた水銀燈に声をかける。
すると水銀燈は微笑んで。
「眼鏡を外してるジュンが、新鮮でねぇ…ちょっと見とれてたのぉ」
「げふっ!」
―――思わず、咀嚼していた麺を吹きそうになった。
それが面白かったのか、水銀燈に加え、薔薇水晶までもが俺を見る。
「ほらぁ、焦らないのぉ。大丈夫ぅ?」
「………お水、飲むといいよ………」
「ごふ、げふ!………誰のせいだと思ってんだよ…」
出された水を飲んで呼吸を整え、目の前の小悪魔に文句を言う。
「私は悪くないわぁ…あら、つゆが跳ねてる」
「は?」

つぅ、と水銀燈の白い指が、鼻の頭に触れる。
そしてその指を―――赤い舌で、ぺろりと、舐めた。

「ふふ…綺麗になったわよぉ」
「〜〜〜………なにしてんだよ、オマエ…」
昔のマンガでしか見たことがないようなことをされて、自分の顔に熱が上がってくるのを感じる。
「………銀姉様……さすが…」
「薔薇水晶…今のはマネしないように」
ほー、と感心したように呟く薔薇水晶に、念のため釘を刺しておく。

「……………麺が伸びるぞ、ジュン」
「…あ゙」
我関せずと、黙々とうどんを食べていた笹塚に冷たく言い放たれ、僕は急いで食べることにした。


◇  ◇  ◇


「ふー………まんぞくまんぞく」
うどんによってぽこっと膨らんだお腹をさすりつつ、窓際の椅子に座る。
笹塚と自分に割り当てられた部屋は、二人では少し持て余してしまうくらいに広い。
しかもその笹塚は"柏葉と町でも歩いてくる"と言って、どこかに行ってしまった。
そういうワケで、今は一人。パソコンもないからあまりすることも思いつかない。
「………綺麗だな…」
ぼんやりと見下ろす田舎町は、ところどころに雪化粧。
久しぶりに、はっきりと自然を目の当たりにした僕は、つい、それを眺めてしまう。
「……………」

「―――ジュン、居る?」
コンコン、とやや控え目なノックの音。
「………真紅?何か用?」
「…ええ。開けてくれるかしら?」
「当たり前だろ。鍵はかかってないから、入って」
ドアの向こうにそう告げると、真紅はすぐに入ってきた。
そのまま無駄のない足取りで歩いてきて、僕の向かいの椅子に、静かに座る。

「―――綺麗な町ね」
白く、人形みたいに綺麗な横顔/真紅は起伏のない声で、そう呟いた。
「…そうだな。ところどころに残ってる雪なんか、すごく綺麗だと思う」
僕も同じように窓の外に目をやり、素直な感想を述べる。
だけど、この雪の寿命もそろそろ尽きる頃かもしれない。
太陽は高い空から暖かな熱を注いでいる。そして風はとても静か。
「………そうね。本当に綺麗だわ」
「……………?」
真紅の言葉に、どこか、言いようのない寂しさを感じる。
ふ―――と、自分の言葉を嘲るように笑ってから、真紅は僕を見た。

「ジュン」
「…?」
「………2年間、ありがとう」
「2…あぁ、そっか。おまえと同じクラスになったの、去年からだったっけ」
言われてみて、思い返す。
―――最初に"下僕"呼ばわりされて以来、僕は真紅に頭の上がらない日々を過ごしていた。
………それでも真紅のことが嫌いにならなかったのは、どうしてだろう。
高圧的で、傲慢だった………いや、それは今も変わらないか。
とにかく、それでもこうしてずっと一緒に仲良くやってこれたのが、少しだけ不思議に思える。
「そうよ。この2年間、あなたは……この真紅の下僕として、まぁまぁよくやってくれたのだわ」
「…へいへい。お褒めに預かり光栄でございますよ」
…ここまできて下僕呼ばわりされる自分を、少し悲しく思う。
結局、俺は真紅にとって"良き下僕"というレベルでしかなかったのだから。

「―――――駄目ね」
「え?」
ため息交じりの、その呟き。
真紅は心底呆れたように笑って、窓の外から、僕へと視線を動かす。
「どこまでいっても………私は、素直になれそうにないのだわ」
「…真紅?」
「でも、そうも言ってられない。もう………これが最後なのだから」
そう言って、真紅は瞳を閉じ、ひとつ呼吸をする。
―――次に告げられる言葉は、きっと、彼女にとって大切な言葉。

「私は―――――自分が、嫌いだった」
「………真紅…」
「愛した人に素直になれない自分が、本当に嫌だったわ。本当に、憎かったわ」
真紅は、ひとつひとつ、重く、苦しそうに、紡いでいく。
僕はただ、その言葉たちをひとつも逃すまいと聞き入る。
「臆病でどうしようもない私は………私は、傍にいてくれた人の、その手すら、握れないまま。
 そして―――その手はもう、違う誰かの手を取ってしまった。私ではない、誰かの手」
「………」
今まで見たことがないくらいに、真紅はつらそうだった。
傍目にはきっと、なんでもないように見えるのかもしれないけど―――だからこそ、そう感じてしまった。
「………失う怖さなんて、失ってからじゃないとわからないものね。
 そして、失ってから、初めてその大切さが理解できる。けれど…失ったモノは、取り返せない」

"―――――なんて皮肉で、なんて愚か"

………無表情で呟いたその言葉は、今すぐにでも、泣き出しそうだった。

「……………だから、ジュンには感謝しなくてはいけないの」
「僕に…?」
「ええ―――――そのことに気付かせてくれたのは、あなただったんだから」
「―――――ぇ」
「………今までごめんなさい。最後に、本当のことを言わせて」
そう言って、彼女は瞳を細め、胸に手を当てて、告げた。

「下僕としてじゃなく…ひとりの、大切な人として―――真紅は、桜田ジュンを………愛していたわ」
「ぁ―――――」

―――何か言わなくちゃ、と焦る意識が、口をうまく開かせない。
そんな間抜けな僕を、真紅は指だけで制した。
「言葉は不要なのだわ。それと勘違いしないで。
 いい?"過去形"ということは、もう好きでもなんでもない……つまり、ただの主人とその下僕よ」
「………あ」
急にいつもの調子に戻った真紅の言葉に、なるほど、と納得する。
愛してい"た"というのは確かに過去の表現。つまり、現在はそうじゃないという意思の表れ。
「今のは決別の為の告白なのだわ。
 何も言えずに怯えていた自分と決別する為………その為にだけ、告げたの。…それだけなのだわ」
「……………そっか。わかった」
余計な口出しはせずに、ただ、頷く。
「よしよし。それでこそ、この真紅の下僕ね」
「うわ…まだ言うかよ」
せめて友達くらいに格上げしてくれない?と訴えると、真紅は首を横に振った。
「下僕のほうが使い勝手がいいのだわ………その、傍に居させる為にも……………」
「え?」
後ろのほうが、真紅がいきなり口ごもったせいで聞こえなかった。
何て言ったの?と聞き返すと、真っ赤な顔で"…何も言ってないのだわ"と返された。

「………少し、疲れたわね。温泉に入ってくるのだわ」
「あ、うん。ゆっくり入ってこいよ」
ふぅ、とため息をついて、席を立つ真紅―――。

「真紅!」
部屋から出て行くその後姿を、呼び止める。
「………何かしら?」
「その………今日と明日は、楽しもうな」
笹塚からの受け売りだけど、真紅の背中にそう伝える。
「………そうね。せっかくの旅行だもの……………楽しく過ごしましょう。ジュン」
振り返り、滅多に見せない笑顔を浮かべて、真紅は僕らの部屋から出て行った。

「……………」
ふと見た外の景色/雪が、少し、消えているような気がした。

「んー………ちょっと、町を散歩してみようかな」


◇  ◇  ◇

「………ふふ…こんな姿、下僕なんかに…晒しては、……みっとも、なさすぎる…、の、だわ……………」

◇  ◇  ◇


外は、来たときよりもだいぶ空気が和らいでいた。
といっても雪が残っているだけあって、息は白っぽいけれど。

「―――あれ?」
「あ…桜田くん」
とりあえず近くにあったコンビニに入ってみると、ちょうど柏葉と出くわした。
その手にはビニール袋が提げられていて、中にはお菓子が入っているように見える。
「柏葉……笹塚はどうしたんだ?」
昼メシの時、柏葉と町を見て回ると言っていた友人の姿を探すが、見当たらない。
「あれ?笹塚くんなら、先に帰るって言って………会ってないの?」
「え?いや、見てない…けどな」
ずっと部屋に居たのに見なかったということは、きっとどこかで寄り道でもしてるんだろう。
どこに行ったのかは気になるけど、それより気になることを柏葉に尋ねる。
「なぁ………そのお菓子、やけに量が多くないか?」
「あ…部屋のみんなと食べようと思って、多めに買ったの」
「あぁ、なるほど………で、そのお金は?」
柏葉らしい行動に感心しつつ、肝心なところを聞いてみる。
「え、私のお金…だけど?」
「やっぱり。まぁ、別におごるななんて言わないけど………あ」
ピコン、と、ちょっといいアイデアが閃いた。
―――どうせみんなで食べるなら、ちょっとアジのあるやり方でいこう。
「柏葉。これから部屋に戻る?」
「う、うん。そのつもりだけど」
「それならちょうどいいな。柏葉、荷物貸して」
「…?桜田くん、何をする気なの?」
「―――遊ぶんだよ、みんなでさ」

柏葉の荷物を手に持って、俺はもと来た道を引き返し始めた。

◇  ◇  ◇

旅館にトンボ帰りした僕は、そのまま水銀燈たちの部屋を訪ねた。
そして楽しそうに話していた水銀燈、薔薇水晶、雪華綺晶の3人の話を遮って、ある提案を出してみた。

『―――このお菓子を賭けて、みんなで何かゲームをやろう』。

そしてその提案はすぐに了承され、水銀燈の部屋を会場に、みんなを集めた。
笹塚はいつの間にか部屋でのんびりしていたので誘い、翠星石も蒼星石も部屋で話していたところを誘った。
唯一、真紅だけは温泉に行ってしまって居なかったけど、来てから合流すれば特に問題はないだろう。

「―――大富豪、なんていいんじゃないか?」
「無難だな。俺はいいよ」
「あら、定番ねぇ…まぁ、私はいいわよぉ」
「………おやつ……」
「勝ったら食べられるから…がんばろうね……ばらしーちゃん」
「やるからには負けねーですよーだ」
「そうだね。僕も、おやつ食べたいし………」
「それじゃあ、全部で8人ね。それじゃ配るわ」
慣れた手つきで、柏葉がトランプをシャッフルする。
8人ともなれば、なかなか面白そうな―――――。

「ちょっと待って。俺からも提案があるんだけど」
「笹塚?」
と、ここで何やら"待った"が入った。みんなの視線が笹塚に集中する。
「8人でやるのもいいんだけど、ここは2人1組でやるってのはどう?」
「ふたり…ひとくみ……?」
「そう。確かに自分ひとりで作戦を組みつつやるのもいいけど、たまにはこういうのも面白いんじゃないかな?」
「はぁ………なるほど…」
うんうん、と雪華綺晶が納得したように頷く。
「それもよさそうですね…」「いいんじゃないかな」
翠星石も蒼星石も、同じように賛成の方向。
「それじゃ、2人1組でやりましょうか。………ペアはどうやって決めるの?」
柏葉の決定と疑問にみんなが頷く。
「……………そうだな。じゃんけんで勝った4人が選べばいいんじゃない?」
うーん、と首をひねってから、笹塚がそう提案する。
なるほど、確かにそれはちょっと面白い決め方だ。
「それじゃ、じゃんけんしてみよう。じゃーんけーん―――――」


―――結果。

薔薇水晶、笹塚、水銀燈、翠星石の4人が勝者。
それぞれ相棒として、僕、柏葉、雪華綺晶、蒼星石が選ばれた。

「………へへ…」「よろしく、薔薇水晶」
「よろしく、柏葉さん」「あ、うん…よろしく」
「1位は私たちのモノよぉ…」「あはは………よろしくね、銀ちゃん」
「やるからにはぜってぇ勝つですよ!」「そ、そうだね…とりあえず、冷静にね。翠星石」

それぞれの挨拶がすんだところで、柏葉がカードを配る。
「―――ところで、1位はそこのお菓子を1個持ってくってことでいいのか?」
「それでいいんじゃないかな?」
笹塚の確認に頷く―――と、
「それじゃちょっと物足りないわぁ。やっぱりぃ…1位には"王権"がほしいわねぇ」
「お、王権…?」
割って入った水銀燈の意見に、首を傾げる。
「つまり勝ったら"○○しなさい"って命令が下せるってこと、でしょ?」
蒼星石のわかりやすい説明に、水銀燈はええ、と頷く。
「やっぱりそういうのがなくっちゃぁ、つまらないでしょぉ…?」
そう言って、くすくすと笑う/その様は―――まるで"女王様"。
「負けたら………怖いな…」
「大丈夫よぉ、雪華綺晶。負けなければいいんだからぁ………ねぇ?」
「へん。そんな提案したこと、ばっちり後悔させてやるです」
「た、頼もしいな………あはは」
ビビるヤツに余裕のヤツ、敵意剥き出しのヤツに不安そうなヤツ。
「………なんか、楽しくなりそうだな」
「……………ジュン」
薔薇水晶が、配られたカードを俺に見せてくれる。
「へー………」
まぁまぁかな、なんて感想を心の中で呟く。

―――――と。
それぞれ手札を確認するみんなの目を盗むようにして、薔薇水晶がいきなり耳元で囁く。

「………頼りにしてる……」
「ば、薔薇水晶?」
「…えへへ………」
それだけ言うと、離れて、はにかむような笑顔を見せた。
「〜〜〜……………そ、それじゃ…やるか」
頬に感じる熱を誤魔化すように、言う。
「………うん…」

―――――かくして、波乱必死の"お菓子と王権争奪戦"は、幕を開けた。


◇  ◇  ◇


「―――あー、ヤクルトなんて久しぶりに飲むですよ。勝利の美酒にしちゃあ貧相ですけどねー」
「くっ…屈辱だわぁ……」「翠星石……嬉しいのはわかるけど……」
最初の勝負は翠星石・蒼星石チームに軍配が上がった。
翠星石の大胆な攻めと、それを暴走させない蒼星石のアドバイスが生んだ結果だろう。
2位には僕と薔薇水晶、3位には笹塚と柏葉……そして最下位は水銀燈と雪華綺晶という、ちょっと意外な結果に終わった。
そういうワケで、翠星石はお菓子袋からヤクルトをチョイスして、これ見よがしにゴクゴクと飲み干す。
…水銀燈が仇を見るような目でそれを睨んでいるあたり、ちょっと暗雲が垂れ込めているような気がしないでもない。
ちなみに蒼星石はお菓子ではなくポカリを選んだ。なんでも喉が渇いていたらしい。
「………さて、それじゃあ"王権"を発動するですかねぇ…いひひひー」
危険な笑いを浮かべつつ、翠星石はどーしよーかなー、なんて考え込んでいる。
そこに蒼星石の意思はあるのか、とツッコもうかと考えたが、ムダに終わりそうなので止めておく。
「…よし、それじゃあですねー。ドベの二人!翠星石と蒼星石が温泉から出た後で、マッサージをするですよ!」
「お、ナイスアイデア」
笹塚が感心したように漏らす。なるほど、確かにけっこういい命令かもしれない。
「えー…でも、負けは負けだから、しょうがないかぁ………」
「お、覚えてなさい…」
素直な雪華綺晶、転んでもただでは起きそうにない水銀燈。
カードをシャッフルするその手つきも、ちょっと乱暴気味になってきた。

「…それじゃ、2回戦行ってみようか」

◇  ◇  ◇

「―――うん、やっぱりポテチはコンソメ味だな。うまい…ほら、柏葉さんも食べなよ」
「笹塚ぁ………このやろ…」「……ジュン……ごめんね…」
2回戦は笹塚・柏葉チームの圧勝に終わった。
薔薇水晶の作戦通りにうまく進んで、そのまま勝てる―――。
そう思ったところで、笹塚のヤロウが隠し持ってた"革命"によって、僕らの敗北はほぼ決定付けられてしまった。
2位には水銀燈・雪華綺晶、3位には翠星石・蒼星石という結果に。
さすがに革命という大技をしただけあって、順位にもだいぶ変動が出た。
そして勝者の笹塚は、大きなポテチの袋を遠慮なくぶんどった。
………バリバリとわざとらしく音を立てて食べるあたり、なんだか非常にムカついてくる。
もうひとりの勝者、柏葉はちゃっかり板チョコをかじっている。チョコが好きなんだろうか。
「さーて、それじゃ"王権"だけど………ジュン。オマエ、風呂上りに俺と柏葉にアイスかジュースおごれ」
「うわ、地味にムカつくな…わかったよ」
トランプをシャッフルしつつ、命令をしぶしぶながら了承する。

「………お金……私が出す…」
「ん?」
と、薔薇水晶がこっそりそう呟いた。
「だって、今の………負けたの、私のせい…だから……」
「それは…合ってるけど、違う」
「…え?」
「僕らはチームだから、勝った時も負けた時も、得る権利も負う責任も、同じ。
 だから薔薇水晶のせいだけで負けたんじゃない。もし勝ってても、薔薇水晶のおかげだけじゃない」
「…あ………」

「―――――作戦会議がすんだのなら、ちゃっちゃと配ってくれるかしらぁ?」
水銀燈にそう急かされ、薔薇水晶は慌てて僕からちょっと距離を置く。

「……じゃあ、3回戦。はじめよう」

◇  ◇  ◇

「―――ふぅ………ようやく、かくあるべき順位になったわね」
「…イヤミか、それ……それよりごめんな、薔薇水晶…」「…………ううん…」
3回戦は僅差で水銀燈・雪華綺晶チームが制した。
2位には笹塚・柏葉、3位にはまた翠星石・蒼星石という結果になった。
………2回連続の最下位に、そしてその原因に、僕はショックを隠しきれない。
―――薔薇水晶の的確な読みを無視して我を通した結果が、このザマだったから。
「チビが薔薇水晶の言うとおりにしてたら勝てなかったですねー」
「うん…そうだね。危なかった…」
最下位決定戦を繰り広げ、見事に勝利したチームから追い討ちの言葉が飛んでくる。
「………ごめん、薔薇水晶」
「…いいの………負けたのは、ふたりの責任……………でしょ…?」
「う…」
確かに、さっきそう言ったのは僕だけど。
…今、ミスを犯した立場からすると、それは、なんだか体のいい言い訳にしか聞こえなくなってしまう。
「………じゃあ、ねぇ…"王権"だけど………お風呂上りのマッサージを、ジュンに頼みましょぉ。いい?雪華綺晶?」
「私は……それで、いいですよ…」
「人のアイデアをパクりやがったですねぇ…」
「聞こえないわぁ」
しゃあしゃあと言い放つ水銀燈に、ため息をつきつつ"了解しました"と答える。

「―――さて。悪いけど、俺はちょっと抜けたいんだ。いいかな?」
「笹塚?どうしたんだよ?」
ここで飛び出した意外な離脱宣言に、またもみんなの視線が笹塚に集まる。
「いやぁ………昨日、寝不足でさ。実はヤバイくらいに眠たいんだよ」
「はぁ?」
予想外の答えに、思わずすっとぼけた声が出てしまう。
だが笹塚は欠伸を殺しつつ、真剣に眠いことをアピールする。
「………それなら、一旦ここでおしまいにしましょう?私もお風呂に入りたいし…」
「あー…それもそうだな。言われてみれば、僕もちょっとのんびりしたいかもしれない」
「じゃぁ、とりあえず大富豪はおしまいねぇ………"王権"の命令、忘れちゃダメよぉ?」
「へいへい」「それは水銀燈もです。きっちり働いてもらうですよ」

そんなワケで―――結局。
僕は一度も勝利の味を知ることのないまま、大富豪は幕を閉じた。

「………僕も、ちょっと温泉に行ってみるか……」


◇  ◇  ◇


「ふわー………さすが…」
少しピントのズレた湯気の立ち込める世界で、思わずそう漏らす。
浴場はそこそこ広く、気持ちよくかつのんびりと疲れを癒せそうだ。

「―――――あ、露天風呂もあるのか………」
お湯に浸かっていい感じに温まったところで、ふと、外へと出られる扉があるのに気付く。
やっぱり温泉に来たからには、露天風呂に行かなくてはもったいない。
………ということでお湯から上がり、腰にタオルをしっかりと巻いてから、露天風呂に入るべくドアを開ける。

「―――、この仕切りの向こうって…」
寒空の下、小さな湖みたいな温泉と、竹で出来た仕切り。
―――向こうは当然、女湯ということだろう。現に、誰か…女の人の声が聞こえる。
「……………ぼ、僕は…露天風呂に入りに来たんだ」
やましいことはしていない、と言い聞かせて、僕は小さな貸し切り風呂にゆっくりと浸かる。

「――――――――もう、夕方ねぇ…」
「そうね。楽しい時間っていうのは、すぐに過ぎてしまうものね…」
「……………」
「しょうがないよ、ばらしーちゃん。勝負は時の運って言うじゃない…ね?」

「………これって…まさか……」
―――間違いない。
これは、さっきまで聞いていた声―――水銀燈、柏葉、薔薇水晶、雪華綺晶たちだ。
しかも薔薇水晶以外の声ははっきりと聞こえる。こっちが静かな分、もはや筒抜けといってもいいレベルだ。
「……………」

このままここに居たらみんなに悪い/バレなきゃ大丈夫だ、それに僕は風呂に入っているだけなんだ。

きれいな理性ときたない好奇心がせめぎ合う。
そして僕は―――さして迷わずに、汚れた好奇心を選択してしまった。

「―――ねぇ、委員長さん。私、ずっと聞きたかったんだけどぉ…」
「なにかしら?」
「あなたは…好きな人って、いないの?」

さすが水銀燈、持ってくる話題も実に彼女らしい。
僕としてもその話はかなり気になるところだ。
………盗み聞き、という罪悪感は、残るけど。

「……………いないわ」
「……………」
「ば、ばらしーちゃん…そんな言い方はよくないわよ…」
「いないんだぁ………まぁ、あなたらしいけどねぇ。ふふ…」
「そ、そういうあなたは…?」
「私?………ごめんなさい、委員長さん。それは言わない約束なの」
「約束?」
「そう。深くは聞かないでくれるといいんだけどなぁ…私も聞かないから、ねぇ?」
「………ええ、わかった。聞かないわ」
「ありがとぉ。それじゃあ………雪華綺晶はぁ?誰か居ないのぉ?」
「私っ!?………んー…まだこの学校に来て、そんなに経ってないから……柏葉さんと同じく…いないわね」
「……………」
「こら、薔薇水晶。つまらないなんて言っちゃダメよ」
「じゃあ、ばらしーちゃんは…?いるの…?」
「……………」
「え…なんで?」
「……………」
「ばらしーちゃんも、約束…?じゃあ、銀ちゃんとばらしーちゃんの間に、何かあるのね……?」
「……………」
「そうねぇ―――いつか言える時が来たら、あなたたちにお話してもいいわよぉ?」
「…間に合いそうもないけれどね。もう、明日と……そして、卒業式しかないんだもの」
「そうね………聞けるといいけどな…」
「ええ。出来ることなら、私もアナタたちに話してあげたいもの…」
「「…?」」
「………ふふ。そろそろ中に戻りましょう?」


―――それきり、声はぴたっと止んだ。
ほんのりと橙色に染まった空を仰ぎながら、水銀燈の言葉をリロードする。

『………ごめんなさい、委員長さん。それは言わない約束なの』

好きな人を口に出来ない約束って、一体なんだよ。
薔薇水晶も同じことを言っていたみたいだけど、なんなんだよ。
水銀燈は、あの日―――"私が好きなら、私と別れてほしい"って、そう僕に言ったけれど。
僕と別れてからのオマエは、一体………。

「―――水銀燈。僕は………あの時の言葉を、まだ信じていて、いいのか…?」

静寂に投げた問いかけは、静かに、消えた。


◇  ◇  ◇


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